5か月 ago
5637 Views
0 0

2021
5/ 03 (月) 15:00
アーカイブは5.6(木曜日まで)一部公開『宮台真司 × 真鍋厚「すべての生は死を前提に存在する」』文章公開!

Written by
179697245_492043841997236_4357155980183671312_n

日時
2021年05月03日 - 2021年05月06日
15:00 - 23:30

カテゴリー


動画は5月6日(木曜日)23:59までアーカイブで視聴できます。
https://twitcasting.tv/tetsuo_pundit/shopcart/63936
ーーーーーー

『すべての生は死を前提に存在する』
高円寺パンディット | 2021.04.24(土)

     真鍋厚:評論家
     宮台真司:社会学者/東京都立大学教授
     (文字起こし:大上隼人)

~ 真鍋厚(以下、真鍋):最近の宮台さんの記事を読んでいると「死」をテーマにしたもの が増えてきた印象があって、先日もラジオ『JAM THE WORLD』で青木理さんと話を されていた内容が衝撃的で面白くて、今回はそのテーマを掘り下げていきたと思って設定 させていただきました。

宮台真司(以下、宮台):真鍋さんも『死』に関する本を書くんですよね? 真鍋:そうなんです。今年の秋ごろに出る予定になっています。 宮台:では、できるだけインスパイアされる話をしたいと思います。

真鍋:コロナ禍になってから、宮台さんの仰っているように、身近な人間関係の問題も含 めて、日本社会の様々な問題が噴出してきていると思うんですね。もちろん細々とした問 題もありますが、構造的な問題がすごく大きいと思います。

最近、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』(ひとしんせい)がベストセラーになっ ていて、個人的にはコロナ禍じゃなかったら、あそこまで売れてないかもしれないって思 っているんですね。そういう意味で本質的なところに、皆さんの問題意識が向いているの かなと思っているんですが、そのあたりから宮台さんの意見を伺っていきたいと思いま す。

宮台:『人新世の「資本論」』は「人新世の概念と、マルクスの資本概念や資本主義批判 が、結びついている」という、非常に重大な命題を提示しています。斎藤さんはMEGA というプロジェクトを通じて、未刊行の草稿をドイツの図書館で読みまくって、マルクス が正にそういう意味で環境に興味を持っていたということを発見しているんですね。

資本主義って若い人に聞くと、定義できない人や、定義を分かっていない人がいっぱい いる。資本っていうのは元手のことですね。資本主義っていうのは、元手でお金儲けをし ていい暮らしをするっていう意味じゃなく、元手を増やすために使うっていう「資本の自 己増殖のために資本が使われる」のが、資本主義です。

その時にマルクスの想定では、従来売買できなかった、つまり元手にできなかったはず の「土地」と「労働力」が元手として売買されていることを、大問題だと考えた訳です。 そこでのポイントは奴隷と労働者の比較です。労働者は、労働契約を通じて働いているか ら「奴隷とは違う、奴隷の方がひどい状況だ」って思うでしょ?

でも、マルクスは労働者の方がひどい状況だって考えたんです。理由は、確かに労働者 は自由契約(free contract)で、嫌なら契約しなければいいという前提の下で働いてい るから奴隷とは違うけれど、労働者には選択肢がないんだよね。誰かに雇ってもらえなか ったら、今日明日にでも死ぬっていう状況なのに、資本家の側は「お前じゃなくたって、 誰でもいいんだよ」という具合に、選択肢の多い少ないの格差がある。

労働者には選択肢がなく、資本家には選択肢があるから、労働力を使い潰しても、また 取り換えればいいってことになる。奴隷は、奴隷主同士の売買契約という自由契約で得ら れるものだけど、そんなに売買のチャンスがないので、奴隷主は奴隷を大事にしたんです ね。その意味で奴隷の方がマシなんじゃないのか、というのがマルクスの想定です。これ が人新世問題とどう関係してくるのかを説明します。

資本主義(capitalism)って言葉には 12 世紀以降の歴史があるけれども、マルクスが 使った資本主義には批判的な意味があって、資本(元手)にしてはいけないものを資本に しているという構えが一貫しているんですね。例えば、土地・労働力・地球環境――等、 いろんなものが、マルクスから見ると、資本の自己増殖のために駆り出されている。そし て、人間は資本によって駆り立てられている。駆り立て(ゲシュテレン)というのはハイ デガーの言葉だけど、おそらくマルクスから影響を受けているんですね。

かくして、マルクスの言う資本主義の結果、人新世になった。人新世っていうのは、地 質学的な年代──2000 年にドイツの大気化学者パウル・クルッツェンが地質時代の区分 の一つとして提唱した時代──のことで、未来から振り返った時に地層が人間の創り出し たものによって特徴付けられている時代ということ。そこには、「それほど自然に大きな 爪痕を残す以上は、自然からリベンジを受けているに違いない」という発想があり、既に 我々はいろんなリベンジを受けている訳ここです。

その大元の原因は、資本家(capitalist)が資本化(capitalization)してはいけないも のを資本化しているからだ。これが『人新世の「資本論」』の基本構図です。それが出発 点の一つだけど、もう一つ重要な話があって、それを皆さんに伝えれば今日の目的を達っ すると思うんですが、先ほど楽屋でも話したので少しガスが抜けた状態で皆さんにお伝え することになります(笑)。

終末(THE END)についての話です。世界が終わるとか、人生が終わるというのは、 素晴らしい観念だと僕は思っています。理由は、さもないと人は、愛 love に、絆 bond に、掟 code に、コミットすることがないからという単純な理由です。人は安心・安全・ 便利・快適を目指してそれが実現すればするほど、愛や絆や掟からは見放されていきま す。その様々な例をこれからお話できると思うけど、これはどうしようもない摂理です。

絶えず死を意識せざるを得ない状況になったから、孤独死や家族じまい──家族代行終 活ビジネス──等の問題が議論のまな板に登ってきているのです。「オレもコロナ死する としても、一人寂しく死ぬのかな?」と思っている人は、一人寂しく死ぬでしょう。LINE が途絶えても誰も訪れてくれる者がいなければ、大学生でもタワマン富裕層でも孤独死しています。それでいい。それが意識されることで初めて得られるフレームがあるんです。

そういう発想を、僕は加速主義(accelerationism)と呼んでいます。加速主義にもい ろんな立場あるけれど、それは横に置くとして、僕の立場は、死や崩壊が絶えず意識され る状況になっているのは福音 GoodNews だということです。現にどんどん人が死に、世 界が終わりつつあることを、正に体験していることは、本当に素晴らしいことだという確 信があります。その確信は、過去の経験がベースになっています。

人間は明治時代みたいに 50~60 代くらいで死ぬようにできている方が良いんです。そうすれば、我々は絶えず死を意識し、それゆえに、今ある関係──死が意識されなければ どうでも良いと思えるような関係──を見直す。あるいは、そのどうでもいい関係の中に しか自分の証(あかし)は残せないと思うようになります。

真鍋:このままでいくと、割と 100 歳っていうのが珍しくない世界になりそうですね。
100 歳以上の人物のことをセンテナリアン(centenarian)と言いますが、それが当たり 前になると正しくそういう人生設計をし始めるので、50歳くらいからやる気を出せばいいとかいう人が出てきそうですね。

宮台:『ライフシフト』を書いたリンダ・グラットンの議 論だと思いますが、間違いです。今 40 歳よりも若い方は、間違いなく 100 歳以上に平均 寿命を延ばすんですが、これをラッキーだと思っているヤツは「即死系(すぐに死んだ方 がいい)」ですね(笑)。そうじゃないんだよ、そう思う人は人生経験が足りなさすぎ。残 念だけど寿命が延びると人生は伸びたゴムのようになります。何も気が付かくことができ ず、だから一人寂しく 100 歳や 105 歳で死ぬんだよ!ざまあみろ!ってことです。

真鍋:先の人新世の話につながるんですが、大気汚染の問題は以前からあったわけですが、コロナ禍になって急に着目されるようになったと思います。例えば、これはWHO(世界保健機関)のデータですが、PM2.5(直径2.5マイクロメートル以下の微小粒子状物質)などの大気汚染物質によって、年間700 万人くらい関連死も含めるとお亡くなりになっているという事実に、コロナ禍になって初めてニュースになって気が付いた人も多いと思うんです。コロナ禍で300 万人の方が亡くなっていますが、700 万人ですから倍以上の人数がずっと亡くなっていたという話です。大気汚染の問題は国境を越えてやってきますが、コロナ以上に世間の注目を浴びることはありませんでした。このあたりが死の隠蔽に関わってくる話なんです。

そういうことがじわじわと起きていて、そういう死に方をしている人がこれだけいるということにも、目が向かないということも、そういうサイクルの中に入ってしまっていると思います。コロナ禍になって人の意識の差というものが、強く出てしまっている。一方には、そういう現実を一切見ないどころか、コロナはフェイクであり存在しないというような人もいれば、人新世の問題なんかも含め地球全体における自分たちの立ち位置というものを、悲劇的な面も踏まえつつバランスよく見ようとする人もいる。そういう意識の差というものが、コロナ禍になって如実に出ていると感じています。

宮台:いいところだけを見るチェリーピッカーですね。チェリーピッカーって例外なくフ リーライダー(ただ乗り野郎)で、基本、自分だけが助かりたいヤツですよね。真鍋さん の言うように「物事をバランスよく見る」ということはどういうことかというと、暗黒面 を絶えず意識するということです。

暗黒面(ダークサイド)と明るい面(ブライトサイド)が絶えず表裏一体なのだと気付 くところから、愛・絆・掟・美学 esthetism に向かう動機が初めて生まれるということで す。逆にいうと、「●●は存在しない!」などと「いい所取り」をしているようなヤツ は、一人寂しく死ね!っていうことです。いい気味です!

真鍋:ラジオでも世界の終わりということに具体的に言及されていましたが、宮台さんが お子さん達に伝える時にどんな形やアプローチでお見せになるんですか?

宮台:Netflix や Hulu を見ると、特に BBC のドキュメンタリーが本当に良くできている んだけど、宇宙の終わりに関する学説がどんどん進展して、それが番組になっています。 少し前までは「宇宙の熱的死(The heat death of the universe)」と言って、数えきれ ないくらいの未来(10 の 100 乗年後)に宇宙が希薄なスープになり、その結果時空が消 えるというのが、もっとも有力な説でした。

ところが、138 億年前に誕生した宇宙が、50 数億年前から急に加速膨張に転じて、加 速度がどんどん上がっている。この調子でいくと遅くても 220 億年後に、宇宙がバラバ ラになる。分子や原子どころか、素粒子も存在できなくなって、つまり物質が存在できな くなって、物質がなくなれば時間もなくなるので、時空間が消えて終わる。ビッグリップ セオリー(Big Rip Theory)というけど、この説がリアルになりました。今まで 138 億 年でここまで来ているけど、残り 220 億年で終わる。実は宇宙の寿命ってとても短い。

それどころか、地球上の生き物がどうなるかについても学問的知見が伸びている。地球 年齢は 46 億年で、原核細胞生物誕生から 35 億年、真核細胞生物誕生から 10 億年です が、そのうち単細胞生物でさえ地球上に 15 億年は生きられない。多細胞生物については 10 億年が限度です。詳しくはもうすぐ出る僕の映画本の前書きに書いたから、それを読 んでほしい。基本的には、地球の自転が止まって灼熱地獄になることからくる帰結です。

カンブリア紀の大爆発といって、バージェス動物(Burgess fauna)の中から芋みたい な動物が残り、脊椎動物に繋がった。つまり、多細胞生物ができてからたった 5 億年だけ ど、その 2 倍くらいの間に全ての多細胞生物が死滅するという素晴らしい事実が明らかに なりました。本当に素晴らしい。理由は先ほど申し上げた通り。僕らは、個体の死や文明 の終わりを意識しながら生きる時代にどのみち入ります。地球環境を大切にすることも、子々孫々に対する責任に於いてむろん大事だけれど、それをどんなにやっても所詮は短期 間で地球上の生命が全て死滅するのが分かっています。

それを 5・6 歳、つまり小学校に入る時期になったら、三人の子供たちに見せてきまし た。子供たちも小学校に入る頃から死が怖いと認識し始めますが、「死ぬこと自体は別に 大したことじゃない。生きようが死のうが、どのみち地球も短い期間で終わるし、宇宙も 結構あっという間に終わる。そういうドキュメンタリーを何個も見せると、子供ってどん どん学習して適応するんですね。

地球や宇宙の終わりに比べれば、自分の死なんて大したことじゃない。そんなふうに地 球の終わりや宇宙の終わりという観念に、子供たちが適応し始めるんですね。それが僕の 狙いです。どこに向けた狙いなのかというと、愛・絆・掟・美学、つまり感情に恵まれて 生きることの価値を意識できるようになること、端的にいえば生 Living を奇跡として意識 できるようになるという最終目的に向けた、良い手段だということです。

真鍋:しかも最近の番組は科学的な考証も含めて、とても良くできていると思います。ヒ ストリーチャンネルの『人類滅亡の日』シリーズが大好きでして、10個くらいシナリオ がありますよね。小惑星の衝突や太陽フレア――等、様々なシチュエーションを世界随一 専門の学者に検証してもらって、映像で再現しシナリオをシミュレーションするんですね。

中でも面白かったのは、海王星サイズの浮遊惑星が地球に接近してきたらどうなるかと いう話…

宮台:系外惑星というヤツですね。

真鍋:あのシミュレーションがとてもショッキングで、地球よりも大きな惑星なので接近 してくると、重力の影響で地球の形がラグビーボールみたいに変形してくるんです。

宮台:潮汐力(tidal force)というヤツですね。

真鍋:それで中の地殻とかも割れてきて、その状態になると人類は絶滅しているわけです が、唯一生きているのが原子力潜水艦に乗っている人達で、系外惑星と地球が接近すると 重力であらゆる物質が吸い寄せられていく道ができるわけですが、その道を海水も通って いくわけです。その海水の中を原子力潜水艦が通っていくという映像も再現していまし た。映像で見ると実際にこういうことが起きると、こんな風になるという説得力がすごく て、見終わった後に愕然としてしまいました。

こういうことが起こり得るということは、起こり得ないという可能性もあるわけで、先 ほど宮台さんの仰っていた奇跡というのは、朝自分が起きて生きているというミクロな側 面は当然のこと、宇宙的なレベルにおいても奇跡は存在するんだと実感できます。

宮台:系外惑星とのブリッジを渡る潜水艦の話で、僕が注目してほしいのは、潜水艦に一 人ぼっちで存在している訳ではなく、仲間の乗組員と一緒にいることです。その場合、仲 間の乗組員との関係からなる「我々」というのが、どういう風に意識されるのかを想像し てほしいんです。実は 1960 年代のジェームズ・G・バラードを始めとして、そういうモ チーフのSF作品が繰り返し作られた歴史があります。 つまり「未来はバラ色だ」というのは馬鹿げたディストピアで、むしろ「未来は崩壊 だ」という悪夢のストーリーこそが生と人間関係を輝かせる福音だというモチーフです。 これはイギリスから出てきたモチーフで、これが出て来た 60 年代というのはアメリカが 上げ潮状態で、イギリスは逆に 20 世紀に入ってからずっとダウントレンドの中にあっ た。だから、イギリスからこのモチーフが出てくるというのは本質的な訳です。

結局は特に 1980 年代以降のSF映画等を見ると、残っているのはイギリスのモチーフ で、アメリカのモチーフは完全に終わっています。明るいユートピアであるような未来の 社会は、人が終わる社会だってことなんです。

真鍋:以前、『14才からの社会学』でSF映画や小説について、お書きになっていたと 思うんですが、『未来惑星ザルドス』(監督:ジョン・ブアマン、1974 年)の話が出て いて、今のお話に当てはまるなと感じました。

宮台:不老不死を獲得し、バリアによって囲われた理想郷タバナクルに住んでいる人たち が、侵入者を媒介にして、バリアの外にいる野蛮人たちとの関係性の中で変わっていく話 です。不死のユートピアこそが地獄だということに気が付いて、むしろディストピアを這 いずり回ってきた野蛮人が、ユートピアの人々に死をもたらしてくれる英雄になります。

周りがどんどん死んでいくことを見る中で、自分の死を当たり前の現実として意識する ことで、初めて奇跡の存在に気付き、奇跡が死を前提にしていることに気付くという話で した。惑星ザルドスのザルドスというのは、オズの魔法使い(The Wonderful Wizard of Oz)の略(abbreviation)で、その寓意的な説明も含めて本当によく出来た映画です。

真鍋さんは、どうして「死」に関する本を書こうと思われたんですか?

真鍋:自分が物心ついた頃から、死について考えない日というのは全くなくて、ずっと意識し続けた死というものを、ここで一度自分なりに書こうと思ったんです。書いてどうなるという訳でもないんですが、書く過程によって自分が何かを発見できればと思っていて、単に調べものをして書くというよりは、例えば孤独死の現場に連れて行ってもらったり、遺骨を粉にする粉骨というのがあるんですが、そういう業者さんのところにお邪魔して作業を見せてもらったり、エンバーミング(embalming)──遺体に薬品を用いて防腐・保存のための処置を行う──も最近日本でも増えているんですが、例えば…

宮台:毛沢東とか、スターリンとか。いわば人間の剥製ですね。

真鍋:そうです。エンバーミングの過程を見たりしました。自分もまだ言語化できていない部分があるんです。それでこれは執筆の動機の一つにもなっているんですが、宮台さんにお話したかった体験があります。粉骨をする業者さんの現場があって小さい4.5畳くらいのラボなんですけど、そこに常時300 体くらいの遺骨が全国各地から色んな事情があって送られてきています。

例えば海洋散骨をしたいとか、自宅で手元供養のための小スペース化だとか、色んな要望があります。面白いのは一度土葬にして肉もほぼ溶けてお骨の状態になっているんですが、たぶんお墓じまいのためだと思うんですが、それを掘り出して洗骨してきれいな状態で埋葬したいということで、それも実際に見せてもらいました。土の中から掘り起こしているので、虫なんかも一緒に入っていたりしました。

宮台:元々は沖縄と奄美大島の風習ですよね。

真鍋:頭の骨にも髪の毛なんかが付いていて、赤い櫛なんかも入っていたりと、すごく強 烈でした。ちなみに、ゆうパックなんかでも送れるんですけどね。後は実際に遺骨を粉骨 する過程も見せていただいて、必ずそういうところに行くと意識が変な感じになってくる んです。

宮台:そうです。トランスになりますよね。

真鍋:その遺骨と一緒に眼鏡が入っていたんです。私も眼鏡をかけているんで、次第にそ の遺骨が私自身の遺骨に見えてきたんです。そうすると自分の意志はどんどん透明化し て、身体がなくなってきて自分はいないという不思議な視点で、「これオレは死んでいる かもしれない」って感じで未来の自分をずっと見ているようなことがよく起こりました。

エンバーミングを見せてもらった時も、遺体がかなり高齢の方だったんです。良くも悪 くも高齢の方って、80 代、90 代と似たような顔や形になるじゃないですか。エンバーミ ングの作業も3時間くらいあったんですが、見ているとまた意識がおかしくなってきて、 やっぱり同じように死んだ自分に見えてくるんです。次第にこれは自分だと思えてくる。

そういうすごい体験をして、自分の中で多少は言語化ができているわけですが、まだま だ完全にはできていない部分があるんです。

宮台:なるほど。僕も似た経験があるんです。僕も沖縄が好きでよく一人旅をしていたん です。東南アジアも好きで同じように旅をしていましたけどね。沖縄と奄美大島には、真 鍋さんが仰ったのと全く同じ伝統があります。実は『酒鬼薔薇聖斗事件』(1997 年)が あった時に、洗骨を体験したことが彼の自己形成に影響があったという精神科医が複数い ました。それは僕にもよく分かるんです。

久米島に鍾乳洞があって、200 円くらいをおばあちゃんに払って、鍾乳洞の中に入って いけたんです。土地の所有関係は分からないですけど、おばあちゃんがなくなってから閉 鎖されました。小さな裸電球の明かりがついている鍾乳洞で、僕は立入禁止のところに入 るのが好きなヤツなんで、懐中電灯を持って立入禁止のところに入っていくんです。

入っていくと、灰色の炭みたいなのが堆積していて、「なんだ?これは?」と思って周 りを見ると、この会場くらいのスペースがあって、所々に髑髏(しゃれこうべ)があっ て、「あっ、全部人骨だ!」って気が付くんですね。懐中電灯をずっと照らしてみると、 洗骨した骨を納める骨壺があって、ほとんどが割れていて、だから骨が一面にこぼれてい たんですけど、「あぁ、ここは骨壺を納める納骨堂の洞窟なんだな」と気が付くんです。

その時、真鍋さんと同じように僕もトランスしました。無数の骨に囲まれ、自分もその 無数の骨の一部になるという感覚。これは日常生活の時空間の体験の仕方とは違うんです ね。僕もある種のトランス状態に入りました。そして、沖縄の洗骨の風習──墓地を造っ て埋葬するのではなくて、埋葬した後に掘り出して壺に納め、人が入れる場所に陳列する ──というのは、このトランスが目的なのではないかと思ったんです。

沖縄の人たちはそのように死の集合的体験をしてきました。自分もいずれ死んで、子々 孫々に自分がいま体験しているような体験を与えるのだと分かるんですね。そのことで最 も自然な過程(プロセス)の一部になるという感覚が、普段考えないような日常的時空の 外にある時空──社会の外にある世界──に通じる体験をもたらしてくれた訳です。その こととの作用反作用の関係で、社会を人として生きていることが儚い奇跡に見えてくる。

それがあるから、命知らずの人も増えてくるんじゃないかなと感じた。沖縄の伝説を調 べたことがあるんだけど、全て島間抗争(島と島の間の抗争)の伝説です。ひたすらシマ (村)同士で殺し合ってきた歴史があって、折口信夫(1887-1953)も気付いていたよ うに台湾先住民(臺灣蛮族)と同じです。セデック・バレ(監督:ウェイ・ダーション、 2011 年)──1930 年の日本統治時代に台湾で起こった先住民セデック族による抗日蜂 起事件である霧社事件を描く2部作──に描かれているのと同じ形です。

セデック・バレは Netflix でも見られる「臺灣蛮族」のトライバルな殺し合いの映画で すけど、命を少しも惜しまず部族間抗争で果敢に殺し合える。それにコミットできる態勢 が「天の家」の先祖たちから見られているという観念のリアルさに結びついていることが 描かれています。沖縄の洗骨の風習も同じ機能を果たしているなと思ったんですね。

関係するところで、『HOMIE KEI~チカーノになった日本人』(監督:サカマキマサ、 2019 年)って元ヤクザを描いたドキュメンタリーがあります。日本のヤクザで唯一アメリカの刑務所で8年以上服役した男です。一部の方はご存じだと思うけど、アメリカの刑 務所は完全な無法地帯です。囚人同士で殺し合うし、刑務官も殺されたり片端(かたわ) にされたりします。なぜかというと懲役 250 年みたいなヤツがたくさん入っているか ら、そこで更に刑務官を殺して懲役プラス 20 年と言ったって、どうってことはない。

だから平気でなんでもやるの。刑務官もそれを恐れていて、囚人同士の殺し合いがあっ たとしても放置するという界隈です。その無法地帯で最も恐れられているのが、チカーノ つまりメキシカンマフィアです。収監されているメキシカンマフィアのホーミー(尊敬さ れている男)とのトラブルが機縁で、チカーノに加わり、やがて全てのチカーノからリス ペクトを集めたというのが HOMIE・KEI です。

冒頭のシーンでは夏だけど全身長袖の服を着た、僕と同い年くらいの男がでてきます。 無償で子供たちにマリンスポーツを教えたり、無償のカウンセリングをしたりしていま す。後で分かるけれど、全身タトゥーをしているから夏でも全身長袖の服を着ているんで すね。その彼がなぜアメリカに渡ることになったのか、日本にいる時に何をしていたのか が描かれています。

人の鼻を捥いだり、耳を削いだり、手足をぶっちぎったりってことをやってきたヤツ で、このドキュメンタリーが公開されただけで恨みを持つヤツらが集団で襲撃してくる。 そんな恐るべき過去を持った男です。ヤクザになりたての頃、自分の隣にいたヤツがショ ットガンで頭を吹き飛ばされ、全身が血だらけならぬ脳みそだらけになってしまったとい うエピソードが語られる。彼と同じような経験をしていた当時の仲間たちも出てきたす。 この作品にはいろんな側面があるけれど、なぜチカーノがすごいのかということが、 HOMIE・KEI の口から明確に語られる。彼はアメリカの刑務所に行って初めて自分を取り 戻したと言うんです。メキシコってめちゃくちゃ貧しく、メキシコ人がアメリカに渡って きてもめちゃくちゃ差別をされるわけです。

だからチカーノには、愛があり、絆があり、掟があり、美学があり、一人のために全員 で殴りこみ、周囲に仲間がいなければ一人のために一人でも殴りこむ。それで多くの場 合、命を落とすことになるけれど、何とも思わない。彼を見込んだホーミーは、彼がそん な命知らずな男であるのを直観したんですね。他方、彼つまり HOMIE・KEI は、自分が小 さかった頃、1970 年代に知っているヤクザも同じだったなと気が付くんです。

彼がヤクザになった 1980 年代は「バブルの時代」で、その時代にヤクザが界隈として は終わったんです。つまりクズ──損得野郎──ばかりになった。昨日までの味方が、い つの間にか敵方についている。裏切りも騙しも当たり前という世界になった。自分も正に そういうヤクザ世界で生き残ってきた。アメリカの刑務所でチカーノになることで、自分 が今まで劣化した「既に終わった界隈」を生きてきたことに気付き、出獄後に帰国してヤ クザをやめ ます。ちなみに僕はこの時代を「新住民の時代」と呼んで、日本人の急速な 感情的劣化の始まりの時期だと位置づけているけど、パーフェクトにシンクロします。

帰国した彼は、常に死を意識せざるを得ない弱者であるがゆえの愛・絆・掟・美学の大 切さを、人に語り伝えなければならないと思うようになって、さっき話したようないろん な活動を始めて、その一貫で本も書き、ドキュメンタリーにも出演するようになんた。も ちろん出演すれば襲撃されるんですけどね。

最後のセリフが印象的です。「それは償いですか?」と聞かれるんです。「過去にやっ た行ないについて、償えるとか埋め合わせられるということは絶対にない」と彼は答える んです。「じゃあ、なぜやっているんですか?」と聞かれて、彼は「そうしたいから、や っている。ただそれだけだ。」と言うんですね。つまり、損得を超えた、内から湧く力= ヴァーチュー(ラテン語:ヴィルトゥ)です。

これは僕のゼミの教材にした重要なドキュメンタリーですが、ゼミでまず伝えたこと は、日本の被差別民や在日も同じく愛・絆・掟・美学に満ちた世界にいたことです。実際 に組員には被差別民や在日が多い。1998 年から僕は鬱になり、鬱明けした 2001 年頃、 僕が最初した仕事は、被差別部落での「ノーマライゼーションの暗黒面」というスピーチ でした。被差別民が一般ピープルになることを無条件で礼賛することには違和感がある。 一般ピープルになることはクズになることだ。差別されなければクズでもいいのかと。

これは、被差別部落出身の元ヤクザとの交流が背景にあって、弱者で、絶えず仲間が痛 めつけられたり死んだりして、絶えず死を意識するから、自分が生きていることが奇跡に 感じられるし、命を人のために投げ出すことが最も美しいことに感じられる。だから、差 別される弱者の界隈が、そうした感受性の界隈になるんだということですね。

繰り返すと、一般ピープルになったら差別はされないけど、一般ピープルはクズ──言 葉の自動機械、損得マシン、法の奴隷──なので、クズに同化して差別されなくなること がそんなに嬉しいのかっていう問題設定です。僕は関西で育ったので周りに被差別部落の 人や在日の人がたくさんいる場所で育ちました。僕も小学校時代に、何も知らないで差別 に加担してしまったこともありました。

だから、反省を含めたいろんな思いがあって、これまで被差別部落の人たちと交流して きましたが、その中には「自分は被差別部落出身だが、多少は差別が残る方が良い。その 方が、一般ピープルのようなクズにならなくて済むからだ」という風に、明確に言う人も いました。それは被差別部落出身で元ヤクザの宮崎学さんです。キツネ目の男、グリコ森 永事件の犯人と言われた人です。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

真鍋:確か宮崎学さんは『法と掟と~頼りにできるのは「俺」と「俺たち」だけだ!』で書かれていましたよね。個別社会と全体社会の問題があって、個別社会というのは簡単に言えば、自立した相互扶助の集団で、全体社会という国家に依存した大文字の社会の手助けなしに回る社会のことですが、個別社会は結局日本社会に
おいても、差別されているという境遇があるからこそ結束するのであって、果たして全体社会の中に入ってしまっていいのかという問題が出てくるということですよね。

宮台:その通りです。メキシカンマフィア=チカーノは、だからアメリカで最も強いシン ジケートを作れる。もしメキシコが豊かになり、国境の行き来が自由になり、その結果、 差別も、抑圧も、疎外もなくなったら、どうなりますか?チカーノは一瞬で終わります。 これは、遺伝子的基盤からいって、当たり前だし、自然なことですね。

説明すると「なぜ、利己的である人より、利他的である人に、感染するのか」「なぜ、 利己性よりも利他性の方が、動機として強いのか」というと、何万年ものトライバルな抗 争の中で、集団生存確率を上げられたのが、他者や集団に貢献しようという内発性を遺伝 子的に持つ成員が多い集団だったから。進化生物学や進化心理学が明らかにしました。

僕はここ 10 年くらいの進化生物学や進化心理学の発展をうれしく思います。僕が過去 20 数年申し上げてきたことに関する科学的支援が得られるからです。それまでは、倫理 を無根拠なものとして語るしかなかった。「これは価値観だ」「オレのコミットメント だ」「だからそれが正しいことを証明することなんてできない」と言うしかなかった。

本質は今も変わらない。でも進化心理学者ロビン・ダンバー(Robin Ian MacDonald Dunbar 1947 年-)らの活躍で、ゲノムがそういう振る舞いを促すように進化してきたこ とが明らかになった。ダンバーといえばダンバー数(Dunbar’s Number:人間にとって 平均 150 人(100-230 人)が「互いに安定した関係を維持できる個体数の認知上限)。 僕らは元々150 人以上を仲間だと思えません。

社会学者として言うと、それ以上を仲間だと思う時、ストーリーやヒストリーの虚構を 信じる営みがあります。ただし持続不可能です。例えば、国民国家はナポレオン戦争以来 150 年の歴史しかないのに既に「終わって」いて「国民が仲間だ」と思うヤツはいない。 ウヨ豚みたいな「神経症的な依存厨」がいても、平和ボケの豚は戦争となれば逃げます。

国民国家は戦争マシンです。ナポレオン戦争で国民軍が傭兵軍よりも圧倒的に強い事実 を突きつけられ、他国の国民軍に滅ぼされないように民衆までもが挙って「国民は仲間だ」になろうとし、欧州に国民国家が林立しました。欧州の外も、維新以降の日本みたい に、国民概念が皆無だったのに同じ経緯で「国民は仲間だ」となった。

「国民は仲間だ」となるのを「国民化」と言います。国民国家の虚構が持続できないの は国民国家が戦争マシンだから。戦争がないと「国民は仲間だ」という意識が衰退する。 戦争直後は金持ちが自ら進んで9割もの累進課税率に賛成するのに、やがて「自堕落なヤ ツらのために財産を分けられる訳がねえ」と累進率が急減する事実から分かります。80 年代の新自由主義の時代から累進率が急減、今やどの国でも累進率は3割以下です。別に 述べたけど、新自由主義が「社会的な記憶喪失による自然過程」だからです。

ゲイツは「オレの金は貧しい子供たちのために使う」と言って、ビル&メリンダ・ゲイ ツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation ; 2000 年創設)を創設した。世界一の投資 家ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffet、1930-)は、儲かる企業にではな く社会のためになる企業にだけ投資をし続けて、世界一の億万長者になったけど、財産の 9割をビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付した。そう。国家をスルーしているんです。

皆さんが大金持ちだとして、「ウヨ豚だらけ、パヨクだらけで、今でも4割が菅政権支 持の、劣化した日本国民」に財産をシェアしたいですか? 僕なら絶対イヤだ! ゲイツ 夫婦のように、貧困国の民衆のために使いたい。そう。それが「国民国家の持続不可能 性」を示しているよね。遺伝子的基盤に基づく帰結で、どうしようないよ(笑)。

他方、韓国は、戦争があるかもしれないという理由だけで徴兵制を維持するのではなく 「徴兵制(conscription)の再社会化(re-socialization)の機能」に注目してきた。徴 兵制では、出身に拘わらず平等に同じ釜の飯を食い、先輩にカマを掘られたと思ったら先 輩になってカマを掘る (笑)。分かりやすく言うと、本当なら仲間になり得ない全体が仲間 になる。それを再社会化って呼びます。徴兵制では、仮想敵を想定し、真剣な戦争ごっこ をやる。そこで死を意識させて、韓国民全体が仲間だという意識を創り出す訳です。

だから、「国民は仲間だ」と民衆が思うような大規模な国(国民国家)を維持しつつ、 カント的な意味での恒久平和を望むのは、頓馬の仕業です。そういう無教養な「岩波書店 的なパヨク」が日本には山のようにいるでしょ? そういった社会的な事柄にもつながる のが、僕らの遺伝的なベースに書き込まれた死と生(death & living)の問題です。

真鍋:チカーノに象徴されるような問題は、先ほどの死とトランスにも関わってくると思 うんですが、今の社会は良くも悪くも死を意識できないようなクレンジングされた社会に なっていると思うんです。先ほどの徴兵制の例もありましたが、その中で死を意識するた めには、何かそういった制度や仕組みを造れる可能性ってあるんでしょうか。

宮台:ないです(笑)。そんなもの造った瞬間に政権が倒れるでしょ?ニクソン政権当時の アメリカには2億人の人口がいましたけど、ベトナム戦争でその1万分の1に過ぎない2 万人の若者が死んだだけで、政権は倒れました。ウォーターゲート事件(Watergatescandal)で司法の手にかかりそうになって退陣したんだけど、間接的ながら最大の要因 は、戦争で多数の若者が死んで厭戦気分が拡がっていたからです。

それに懲りたアメリカは、リモート・コントロールド・ウェポンズ(RCWS:Remote Controlled Weapon System)を開発します。最初はトマホーク、今はドローン。アリ ゾナ州・コロラド州のトレーラハウスの中に、30 インチのディスプレイが置かれ、その 前で地球の裏側のアフガニスタンやイラクの上空 10000mを旋回するドローンを操縦 し、ビデオゲームをプレイするかのように建物や自動車や戦車や特定個人を爆撃する。

ドローン・オブ・ウォー(原題:Good Kill、監督:アンドリュー・ニコル、2014 年) が描くようにドローン操縦士の多くが心を病んだ。「こんな非対称的な戦争はもはや戦争 ではなく許されない」という倫理を持つ人間が 10 年前にはいた訳。それが何を象徴する か。人間が倫理的存在であるべきゲノム的基盤を持つことです。と言うと、今いなくなっ たとすれば、ゲノム的よりも文化的じゃないかと思うかもしれない。

進化心理学に従えば、遺伝子的基盤と学習的要因が相まって一つのオリエンテーション になる。フリッパ・フットの「トロッコ問題」を材料にマーク・ハウザーが言ったけど、 遠くにいる人を功利主義的に殺せても、隣にいる人を功利主義的に殺せないのは、感情の 越えられない壁(emotional self-regulation)による。ただしマイケル・サンデルが「白 熱教室」言うように、隣にいる人の人種や性別や年齢や階級によって、感情の壁は違った 働きを示す。それが「遺伝子と文化との協働」ですね。

一定の遺伝子的ベースがあれ、環境からの学習次第で、人はクズ化します。安心・安 全・便利・快適な、死を意識できないクレンジングされた社会で、人は、ミジメに孤独死 するクセに死を怖がり、細かいことを気にして「こいつがいるから日本が悪くなるんだ」 「こいつがいるから自分は不幸なんだ」と永久にクズなコミュニケーションを続ける。あ まりも理論通りに展開していて愉快だよね(笑)。

真鍋:ラジオでも仰っていましたが、死を意識するにしてもコミュニティに所属していないと死を目撃する機会もないですよね。そもそも孤立している人達は、死を意識することがない。要するに近しい人の死を経験することがない。そうすると死を意識する人とできない人の差はどんどん開いて、ある種の格差社会化している。

もともとコミュニティの中にいる人は、別に苦労しなくても身近な人の死を体験して、そこから色々自分なりに考えて成長することができるんですけど、人間関係のリソースがない人達は死を目撃しないし、そもそも臨終ってどういうことなのかもわからない。もっと言えば、自分が死ぬっていうことも想像すらできない段階ですよね。そうやって二極化が激しくなっていくと思います。

宮台:皆さんに問いたいのは、どっちが自分のしたい生き方かということ。細かいことに 不安になりながら、一生懸命健康に気を使って「この調子でいけば、100 歳も夢じゃないぞ」という風に生きるヤツ。僕はそういうヤツは即死系だと思います(笑)。そうじゃない 生き方の方がいいと思うな。

真鍋:でもマーケティングも必ずそういう感じに流れていきますよね。少し前にジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman、1925-2017)も言っていましたが、「死そのものに打ち勝つことはできないけれども、日々の細々とした闘いを続けていくことによって永遠に死を遠ざけられるような幻想を抱く」。例えば死の原因になるような因子はたくさんあるじゃないですか、発がん性の食べ物だとか、運動不足だとか、ビタミン不足であるとか、そういうものを遠ざけることで、死を遠ざけるような幻想を抱くってことです。

正にそうだなと思って、実際に健康を売り込むマーケティングの手法にもなっていて、みんな目先に細々としたところで、数値が良くなったり悪くなったりで、「死は必ず訪れるけどすぐには来ない」という先延ばしにした状態を続けていて、ごまかしている訳です。

宮台:そうやってますますクズ化が進む。問題を深めるために、楽屋で話した真鍋さんの 奥さんのやってらっしゃるお仕事の話をしましょう。奥さんの菅野久美子さんはまず孤独 死を問題提起され、次に家族代行終活ビジネス(家族じまい)を問題提起され、今執筆中 の本は「女性が客となる風俗」を扱っている。奥さんから話を聞くと、実は僕がナンパ師 をしてた頃と、基本的な構造が何も変わっていない。

まず基礎知識。恋愛稼働率を比べると、全ての世代で男は女の半分、女は男の倍です。 男一人に女二人の割合で恋愛をしている状況。なぜこうなるのかを想像したことがありま すか? 男は性欲ベースで動くだけで満足しがちだけど、女は性欲ベースだけでは満足で きないからです。このミスマッチングが大きい。

出会い系で言うと、男を「上・中・下」に分類し、女も「上・中・下」に分類すると、 女の「上・中・下」の全てが男の「上」に全て向かうので、男の「上」は一瞬で払底し、 男の「中・下」は誰からも相手にされず、女の「上・中・下」も大半が永久に相手を見つ けられない。だから大多数の男女が永久に出会えない(笑)。この図式は今から 20 年前、 出会い系がビジネスモデルとして成り立つ理由として、初期の業者が教えてくれました。

深いでしょ? 何を言っているか。皆さん理解できますか? 宗教学の言葉を使えば、 男の性は内在的、女の性は超越的。男の多くは損得野郎。女の多くは損得だけでは満足で きない。だから男のごく一部しか女から見てまともに見えない。数年前に東京西部の女子 高でやったアンケート。「損得に敏感な男」と「正しさに敏感な男」とどちらをカレシし たいかを尋ねると、100%が「正しさに敏感な男」だと答えます。

菅野さんの取材によると、女向け風俗の中心にいるのは美容師たち。そう。僕が関西テ レビでナンパ師のドキュメンタリーを作った 94 年当時も、ハメ撮りカメラマンの中心に いたのは美容師たち。びっくりする符合です。なぜ符合するか。どう喋れば女が喜ぶか以 前に、女との間に落差のない空間を自然に作れるから。それがないと美容師はできない。

その能力をナンパに使える。というと悪いイメージになるけど、女から見て「この人と ひととき過ごしたら私を幸せにしてくれるかも」って思えるコミュニケーションをしてく れる。僕みたいに 11 年間ナンパをひたすら続けることができたのは、そういうコミュニ ケーションができるからです。

でも、なぜ僕が 10 年前に性愛ワークショップをやってたのか。その方法を伝えるため じゃない。ナンパ界隈の中心にいる美容師たちが幸せじゃないからです。たぶん女向け風 俗の中心にいる美容師たちも同じです。なぜ幸せじゃないのか皆さん分かりますか。僕は それを後年「ナンパ地獄」と呼んでいます。そんなキャラクターが映画の中にいると想定 して、キャラに成りきって考えてほしい。

そういう喋りができる男は、女からどう思われるか。そう。女から見ると、どの女に対 してもそういう喋りをしているヤツだって思われる。だから女は「止まり木」のようにそ の男を「使う」ことはあっても、その男に「全てを委ねる」とか「心から愛する」ことは 余程のメンヘラじゃない限りしない。当たり前ですね。

同じような問題は、そういうコミュニケーションができる男側から見てもあるんです。 「あるアプローチをすると、普通のヤツは歩留まり1割なのに、オレの場合は歩留まり4 割」って感じで、人間関係に「歩留まり的な理解」を適用するようになります。僕もそう なりました。すると、男から見て、女は量産型のマシンに見えてきます。だから「全てを 委ねる」とか「心から愛する」とか、絆だ、美学だ、って世界には入れません。

だから、取材などで仲間になった同世代や少し上の世代のナンパ師たちは、次々と孤独 死しました。結婚できなかったり、すぐ離婚したりで、家族を作れないんです。これは重 要なデータです。「ナンパできる人は幸せだ」と、スタートラインに立てない人が勘違い するのは、気持ちは分かるけど、もっと考えた方がいい。気持ちは分かる云々はどうでも いい話で、「人間とはそもそもどんな存在なのか」という存在論を話しているんです。

僕がどうやってそこから脱け出せたのか。それは偶然です。いろんな所で書いてきたけ ど、当時付き合っていた女と、エイズ検査キットを試しました。唾液で陽性・陰性の結果 が表示される検査キットだけど、インチキ検査キットでした。そうとは知らず、本物だと 思って検査して、陽性だと思い込みました。それですぐ保健所に行って検査したんです が、当時の保健所の検査は結果が出るまで2週間近くかかったんです。

僕は陽性になったことに責任を感じて「オレのせいだ。本当に悪かった」と彼女に伝え ました。すると彼女は「今初めて言うけど、これは絶対に私のせいだよ」と。「今まで言 ってなかったけど、私はあなたに出会うまで、こういう生活をしていた」とカミングアウ トしてくれたんです。

それまで僕は人より性的経験値がずっと上だと思ってきたけど、僕を遥かに凌ぐエグイ 体験のオンパレード。それを聞いた僕は頭がクラクラして、過去 10 年くらいに渡って抱 けなかった嫉妬の感情や、「オレには全て見えている気がしていたのに、何も見えていな かった」という悔しさの感情が生じました。

それだけじゃなく、検査結果がでるまでの2週間、当時始まったばかりのインターネッ トで調べると、エイズ感染者の 10 年後の生存確率が 3 割だった。「あぁ 10 年後には死 ぬんだな」って思ったら脳内環境が変わった。もうすぐ死ぬという共通の運命を持った、 しかも自分より凄い体験をしてきた女が、目の前にいて一緒に生活をしている。と思った ら、今こうして生きていることが奇跡だと思えてきたんです。

彼女が、自分が伝えた話の中でショッキングだったことを上から3つリストしてって言 うから、10 個書いたら「これからこの3つをやろうよ」って言われて……って話はズレ るからいい(笑)。そんなことがあって感情が元に戻り、感情なきナンパ地獄から脱出でき た。短く言うと、10 年後に死ぬと思ったら、奇跡の意識が生じて感情が戻ったんです。

しかし、その後 10 数年の間に昔のナンパ師仲間たちが孤独死に近い状態で死んでいっ た。だから東日本大震災の後に性愛ワークショップをすることにしました。既に本に書い たけど、「どうしたらセックスできるか」なんて小さなことを気にしてるんじゃねえ! そんなのはその辺のナンパ講座とかでさっさと済ませて本質に向き合え!ってことです。

セックスを通じて相手の人格が丸分かりするから最初にセックスするのはいいとして、 問題は「セックスした後に絆がつくれるかどうか」。当時の言い方だと、性愛にはセック スまでの前半プロセスと、セックス以降の後半プロセスがあり、後半プロセスの方が何百 倍も大事。テクニカルな訓練をすればナンパはできるようになるし、それを教えるナンパ 講座は山のようにある。重要なのは「それができても幸せになれない」ことです。

そこを教える講座はない。でも前半プロセスだけで終わったから、せいぜい「碇シンジ 状態」──あんなにダメだった僕がエヴァに乗って戦ったらシトを倒せた──になるって だけ。即死しろよ!って感じです。だから「ナンパ講座の 99%がクズだ」と僕は言って 新しく始めた訳です。……そろそろ換気の休憩時間ですね。

【換気のための休憩中の雑談】
宮台:僕は真鍋さんが菅野さんをパートナーにしていることが、奇跡だと思うんですね。 菅野さんは、炭鉱のカナリアのように、この社会の最も危険な部分を、誰よりも早く感知 する人じゃないですか。そんな人、僕は菅野久美子さん以外に誰も知りません。あまりに もエグイ取材現場だから、普通の人は耐えられないからです。感情的に潰れちゃいます。

真鍋:そうですね。私も孤独死の現場に一回入ったんですけど、あの時は3時間くらい現 場にいましたけど、匂いもすごいですし、防護服の中は汗びっしょりで滝にうたれたみた いな状態になって、もう限界でしたね。

宮台:そういう取材に耐えた上で、分厚い価値観に満ちた本を書かれる菅野さんについ て、伝記を書いてみたいですよね(笑)。この人はいったいどんな人なんだろうって。

真鍋:先ほど、偶然って要素の話をされていましたけど、偶然って話になると逆に結構難 しい話ですよね。

宮台:そう。だからこそ、偶然によって救われた人は、何かに呼びかけられて──神に呼 びかけられたと言ってもいいけど──使命を受け取ったんだって感じやすいですね。僕自 身がそう感じました。偶然に 100 人に 1 人か2人が偶然にくじ引きで選ばれた中に自分 が入ったような感じがしました。

【後半】
真鍋:宮台さんにお伺いしたかったことで、『14 歳からの社会学』に書かれていて、と ても印象に残ったことがあります。~~社会に関わって生きてきたことを福音(evangel) として感じながらも、世界の中で佇んで死ぬことが、ベストなんじゃないか。なぜかという と、社会の中だけで死ぬと、自分が社会の中で身につけた関係やそこでの諸々の営みについ て、悔いが残るから~。そうだなと思いました。

世界の中で佇んで死ぬというのも、ハードルの高い話が含まれています。それで思い出 したのは、曹洞宗の高層の青山俊董(1933-)という方の講演を聞いた時に、一番衝撃だ ったことです。世捨て人っていう言葉がありまして、世の中を捨てて山に籠ったりしてい る人のことをいうんですけど、「世捨てられ人」という言い方もしていて、どういうこと かというと、周りの人がどんどん死んでいって、自分自身も瀕死の状態になっていく中 で、誰にも関心を持たれず、ほとんど見捨てられた状態になっていく。人間にはそういう 段階が存在し、その「見捨てられ人」という段階も、生老病死ある中で、人生の一つの風 景として味わえということを仰っていて、この人はすごいなと思ったんです。

ただ風景として味わうということが、一番いいことだと仰っていて、苦しいことや、楽 しいこと、色んな出来事が人生にはある中で、それぞれを差をつけることなく風景として 味わっていく。そういう生き方・死に方をしたいと仰っていました。その話は世界の中に 佇むという話に通ずる話だと思いました。

「世界の中に佇む」っていう話で、タイに旅行に行った話をされていたかと思うんです けど、確か孤島にモーターボートで行くという話で……

宮台:そう。何も知らないで、夏にふらっとプーケットに行った。ホテルの人から「雨季 だからどこでも泳げないよ」って言われて、部屋から地元のガイドに電話して、どこでも いいから泳げるところに連れていけって言ったら、モーターボートで1時間以上かかるけ どいいか?って聞かれて、あるラグーン(lagoon)に連れて行かれました。

真鍋:そこで落水して死ぬ可能性もあったんですよね?

宮台:見たところ波が6~10mくらいはあるんです。モーターボートで波の間を上手く縫 って進むんですが、時々トップからボトムまで、エレベーターのロープが切れたみたいに 落ちる。ボートの後端にはパイプに掴まって仁王立ちした刺青入りの男が3人いて、「このボートに乗っていること自体が肝試しなんだな」と分かりました。それで「いつ死ん でも不思議はないな」とか思ったその瞬間、ものすごい解放感が訪れました。

ボートに乗っていることは誰も知らないし、記録にも残っていない。ここで死んでも見 つけて貰えない。自分はただの塵や芥みたいな存在なんだな……。と思った瞬間、めちゃ めちゃ解放されたんです。この旅では、車のクラクションを鳴らしたら、いきなり拳銃で 狙ってくるヤツがいたりとか、いろいろあった。

それで日本に帰ってきて、成田に着いて、エクスプレスに乗っているうちに、それまで トランスしていたのが、だんだんと名前が戻り、しがらみの記憶が蘇り、突然重力に囚わ れたかのように苦しい感じがしてきて、「あぁ社会を生きるのってこんなに辛いことなの か」と感じたんです。その奇妙な経験を本に書いたんですね。

真鍋:「名のある存在」と「名のない存在」って、すごくわかりやすい分け方をしてい て、さっきの話でいえば、「名のある存在」が社会に対応していて、「名のない存在」が 世界に対応するってことですよね。その時に「名のない存在」として死ぬっていうのは、 どういう方法があると思われますか?

宮台:そのことは田口ランディ(1959-)さんに以前話しました。「名のない存在」とし て死にたくなった時、「北に行く人」と「南に行く人」がいる。「北に行く人」は、例え ば、後に無呼吸潜水(ブレスレスダイビング)の記録を打ち立てるジャック・マイヨール (Jacques mayol 、1927-2001)です。北極圏(ラップランド圏)を探検していた。

他方、インドや東南アジアのような場所を目指す人がいます。僕がヤクザの人たちから 聞いたら、「ヤクザは、とりあえず南へ逃げるよ」って言うんです。「思想犯は、みんな 北へ逃げるだろ?」って言うんですね。僕はそれを聞いて「本当だな」って思ったんで す。北に行くのと、南に行くのでは、何が違うのか。

北は、峻厳な大自然の中で「人間なんか塵や芥に過ぎない」っていう感覚を抱けます。 南は、ゴチャゴチャとした人混みの渾沌があって、病気や事故や犯罪で次々と人が死んで いくような環境の中で、やはり「人間なんか塵や芥に過ぎない」って感じます。北と南で は「世界における佇まい」のあり方が何か違うんです。

どう違うかをはっきりとは言えませんが、ギリシャ悲劇の世界観を手掛かりにすると、 「社会の外に世界がある」っていう感覚が北で、「社会の中に世界がある」っていう感覚 が南でしょう。ちなみに、世界とは「ありとあらゆる全体」のことで、社会とは「コミュ ニケースション可能なもの(コミュニケーション自身を含む)の全体」のことです。

ちなみに僕は圧倒的に南です。僕の知っているヤクザたちも、ビートたけし(1947-) も南ですね。「名もない存在」に戻る時、「絶えず生まれては死んでいく群衆の一部に連 なる」という感覚が、ものすごく大きな救済感覚を与えるということです。とにかく救い (salvation)の感覚なんです。圧倒的な解放感と言ってもいいでしょうね。

真鍋:一方で、世界と接触して「名もない存在」になることによって「良い生き方」にな るんじゃなくて「悪い生き方」の方に行ってしまう面も当然ありますよね。その差って結 構微妙な所だったりすると思うんですけど、その辺りはどう考えますか? 例えばニヒリ ズム(nihilism)で言えば、「このまま世界が終わってしまうんであれば、何でもありだ」っ ていう人もいれば、「だからこそ、奇跡に覚醒して、ちゃんと生きよう」って人という人 もいる。ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844-1900)で言えば、「積極的ニ ヒリズム」と「消極的ニヒリズム」に分かれる。つまり分岐があると思うんです。

宮台:分岐というよりは、僕のイメージだと「積極的ニヒリズム」から「消極的ニヒリズ ム」への転向があるように思う。さっきのナンパの話とつながるけど、ガウタマ=シッダ ールタ(ブッダ)がそうだったように、何でもありだと思ってありとあらゆる酒池肉林を やってみたところが、結局は全てショボいなって感じられてしまうことです。

「なんでこんなにショボいんだ? あれもこれもできなかった時には、素晴らしいと思 っていたのに」ってね。これは、ナンパをしようとしても最初は「地蔵」になっちゃって できなかった人が、ナンパできるようになって、何百人の女と寝るようになった時に感じることと同じです。

いろんな女の子を3P に誘うとか、3P やっている現場から女の子が「すぐ来て!今め っちゃ興奮してるの~」って電話で誘われるとか、今の若い人には考えられないことが沢 山ありましたが、「そんなの夢みたいじゃないですか、いいな~」って思う人はちゃんと 想像して欲しい。少しも夢みたいじゃない。自分ができないから夢みたいに感じるだけ。 他人が取れる選択肢を自分が取れないと悔しく感じるというゲノムがあるだけです。

自分が憧れる人ができることを、自分もやろうと思ってやれたところで、結局は「碇シ ンジ問題」です。「こんな僕でもシトを倒せた!わーい!」って感じ。ビフォーor アフタ ーで言えば、ビフォア状態では「あれができたらすごいなぁ」が、アフター状態では「僕 は一体何をしていたんだ」って思うだけ。その時に初めて「本当の覚醒」──悟り──っ て何だろうって考え始めるということです。

それを分かりやすく言えば、「地獄を経由しないで、天国に行くことはできない」って ことじゃないかな。ただ、「この地獄が、皆が天国だと思っているものだ」というところ に、ちょっとした屈折があります。でも、正にそのことを示してくれているのが、ブッダ だと思うんです。

真鍋:現在のような社会では、なかなか難しいかもしれませんね。

宮台:難しいかなあ……確かに若い人たちがアンラッキーだなって思うのは、さっき 「南」として話したような「微熱感のある社会空間の中で、自分は一つの分子のようなも のに過ぎないと思う」ような経験がないことかもしれない。90 年代前半が典型だけど、 援交のブーム、クラブのブーム、チーマーのブーム等が、渋谷を席巻していた時代です。

援交を見つけて朝日新聞に書いたらブームになったのが 93 年。クラブのドキュメンタ リーを E テレで作って、深夜営業規制に抵抗して成功したのが 94 年。皆さんから見れば 社会的な活動をしていたように見えるだろうけど、僕の意識は違っていて「そこに何があ るのかを皆が知らないことが残念すぎる」という感じでした。

街を知らない人からすれば、「深夜営業のクラブで踊っているヤツも援助交際している ヤツも法律破ってんじゃん!」で終わりでしょう? 特にクズ=「言葉の自動機械、法の奴隷、損得マシーン」が多い社会ではそうなってしまいます。僕は「そうじゃないぜ」って言いたかっただけです。

援交なんて許さん!深夜営業なんて許さん!と騒いでいる大人たちより、援交している ヤツらや深夜営業のクラブにたむろしているヤツらの方が、豊かに世界を触知してるし、 人間関係の価値を知っているぜって言いたかった。社会問題とかじゃなく「大切なことを 知らないまま何をギャーコラ騒いでるんだよ、こいつら」っていう怒りが大きかった。

今だったらあり得ないような僕の営みを支えていたのが「街の微熱」でした。街に行く だけで、街でナンパするだけで、人と人の関係が生じるというよりも、さっきの東南アジ アの体験に似て「街の微熱」に自分が飲み込まれて、「女とまぐわっているんじゃなくて 街とまぐわっているんだ」って思えるような感覚。そうしたものが当時はありました。

皆さんにどれほど伝わるか分からないけど、一方でそれは僕のナンパ地獄でもあったから、否定的側面も山のようにあります。でも「街の微熱」に自分が包摂されているような 「自分が塵や芥であることの快楽」も同時に体験できました。当時は僕にまだ語彙がなか ったから、1994 年に書いた『制服少女たちの選択』を今読むと正直まどろっこしい。もう少し書きようがあるだろうって思うけど、当時僕が何を感じていたは分かります。

真鍋:その「微熱感のある街」も失われたということですよね。

宮台:はい。僕はこの2年ほど「法と掟」って図式を使うでしょ。掟は、法の外にある。 法外でシンクロする時に「法の奴隷じゃない存在」が生まれる。「法の奴隷じゃない存 在」が法のかわりに何に従うのかと言えば、掟に従うんです。これは紀元前5世紀に、カ リクレスvsソクラテス論争として知られていることです。

法には、1従わないと罰を受けて損するから従うような「法」と、2仲間を守る美学と して従うような「掟」の、2つがある。カリクレスは「法」としての法、ソクラテスは「掟」としての法を擁護した。でも社会が複雑化すると「掟」としての法では社会をカバ ーできなくなる。それが悪法。悪法でも「掟」だからソクラテスは従った。

結局、悪法だらけになって、人々が法を守るのは罰が怖いからっていう方向に変わって いき、法を守る動機の中から美学が抜け落ちていく。かくて「法は損得、掟は美学」とな る。これは後に三島由紀夫が使う図式でもあったし、僕が大好きなフランクフルト学派の マルクーゼ(Herbert Marcuse、1898 – 1979)が使う図式でもありました。

前半で話した『HOMIE KEI~チカーノになった日本人』でもあったように、1970 年代 のヤクザは掟集団だったのが、結局損得の枠組みの中で人を平気で裏切るようになった。 ところがアメリカで収監されてチカーノに触れ、チカーノになった KEI は、人が掟を守る ための条件は何か、人が美学的であるための条件は何かが、分かるようになった。

それは、絶えず自分や仲間の死に直面していること、絶えず抑圧や差別を受けていること。そういう構えから、社会の中で打ちひしがれて苦しんでいる人たちに、いろんなカウ ンセリングができるし、子供たちにもいろいろ教えられるようになった。宮沢賢治的にい えば、「本当の幸い」は、安全・便利・快適・長寿みたいな笑える話じゃないぜ、って教 えたいと内発的に思うようになった。

内発的になったとのは、何か(罪)を何か(善行)で埋め合わせたいからじゃなく、伝 えたくて仕方ないから伝える、というポジションになったということです。その意味で、 誰もが死ぬ、動物も死ぬ、地球も死ぬ、宇宙も死ぬ、というところで終わるのは「前半プ ロセス」で、だからこそ人は美学的になれる、本当の幸い──つまり愛──に近づけると いうのが「後半プロセス」だと思います。

だから皆さんには、安心・安全・便利・快適な格差社会を、恨んで欲しいんです。逆説 的な言い方だけどね。そこで皆さんがまともになるには、スポンテニアス spontaneous にほっとくだけでは絶対に無理です。「この社会は荒野だと違和感を感じるようなオレた ち」が大切です。

「違和感を感じるところから仲間になろうぜ」「違和感を感じない関係性ってどういう ものなのか考えようぜ」と、どんどん先に進んでいく。それが僕の言う『社会という荒野 を生きる。』(2018)ということで、本のタイトルにもしましたけど。そういうことだ と思うんです。だから「死は怖くない」じゃなくて、「死は望ましい」んです。

現に国民国家は戦争による死を前提にして成り立っていました。国民国家にとって死は望ましかったんです。国民という仲間のために進んで命を捨てるヤツがいるのが国民国家 で、それがナポレオン戦争以降に国民国家が林立していく理由でした。国民国家は単なる 虚構で、持続可能じゃなかったけど、仲間であることと死は表裏一体だということです。

真鍋:なんか(会場にいる皆さんが)暗い感じになってきたような……。

宮台:むしろ明るいと思うんだけど。死こそが希望を支えるという話ですからね。

【質疑】
Q1(来年新聞記者になる方):社会という荒野を生きるというのは、自分の中でストン とくる一方で、社会が荒野であると気が付いてしまったからこそ、それと向き合い続けな いといけないしんどさみたいなもの感じるようになっています。

私は新聞記者を目指していますが、表現者として記者の世界にいれば入れ替え可能では ない存在でいられるのではないか、またそこに仲間がいるのではないかと思いました。

来年から記者として踏み出すことが決まったわけですが、冷静になって周りを見てみる と、そんなもんだとバランスを取りながら自動機械のように行動している人達もいまし た。宮台さんが社会という荒野を生きる、そのモチベーションについて教えてください。

宮台:社会が荒野だと認識するから、いろんなものが奇跡に見えます。この男が、この女 が、この仲間が、奇跡に見えます。本当は人間は塵や芥です。キリスト教やユダヤ教で言 えば、人間は神によって土から作られた人形です。たまたま不揃いなだけ。でも人間はそ れをかけがえのないものだと思うことができる。

僕の言い方だと、三文小説的な、痴話喧嘩ばかりしているような入れ替え可能な性愛関 係があるとして、突如そのこと自体が奇跡として見えてくるようなフェーズ(位相)があ るんです。それは「社会は荒野だ」と認識することで初めて可能になってくることです。 だから僕は社会がもっと荒野になればいいと言う。それが僕のいう加速主義ですよね。

Q2(ライターの方):10 年前くらい前から終活ということがいろんなところで言われて いて、最近だったら人生会議──終末期に向けていろんな人と話しあいをしましょう── が推奨されるようになってきています。基本的に周囲になるべく迷惑をかけないように終 わらせる。コストをかけないように終わらせることを良しとして備えをさせる。そういっ た日本社会の流れについてご見解をお聞かせください。

宮台:上野千鶴子の「おひとり様」死ね(笑)。「馬鹿げている」で終了。迷惑かけていいじゃん。その迷惑を喜ばしいと思ってくれる人が周りにいないことが不幸なだけです。そ ういうクズだらけなので仕方なく迷惑をかけないように生きようと思わざるを得ないだけ です。そんなふうにメタ的に──後ろに下がったところから──見る力が必要です。

Q2(ライターの方):そういう力を社会が持つためにはどうしたらいいでしょうか。

宮台:社会は持てないよ。今後ずっとね。社会は今後ひたすら劣化していく。可能なの は、全域的な営みじゃなく、局所的な営みだけ。それでいいでしょう。せいぜい局所と局 所の関係を気にする。それもまた局所です。そもそも国民国家とか、国家同士の関係って

言ったって、局所でしょう。フランク流の従属理論やウォーラステイン流の世界システム 理論が言ってきたようにね。

テクノロジーが発達して人がますます長生きするようになり、安心・安全・便利・快適 になります。すると、どうでもいいはずのノイズがますます深刻に感じられるようにな り、今は現に人間関係ですらノイズに感じられるようになってきています。こういう流れ が終わる可能性は、全域的には完全にゼロ。それがマックス・ウェーバーの予言です。

真鍋:確かハーバード大学の研究だったと記憶しているんですけど、ダウンタウンに住ん でいる人を 300 人くらい 70 年間追った研究があって、良好な人間関係が人の寿命を決定 する要因になっていて、90~100 歳までいい感じで大往生できる人は、必ずしも家族や 特定のパートナーがいるということではなく、良好な人間関係を築けている人なんです ね。知らず知らずのうちに周りの人達が面倒をみてくれるような関係性を築けているとい うことがあって、逆にいうとそういう能力がないともう終わりみたいな話なんですよね。

宮台:その能力がないと終わりでいいと思う。それが、進化生物学的には「人間的なもの humane things」の進化の基盤だからです。さっき話したように、その遺伝的基盤と学習 的基盤があって初めて「人間的な能力」が発現します。その学習的基盤が難しくなってい る環境をどうするのかです。

そこに気が付けば、自分の子供、周囲の子供、自分が教えている学生達が、どんな環境 に身をおけばいいのか伝えられる。現に今伝えています。僕や真鍋さんにできることは、 「これでもうこいつは不幸にならないで済む」って思える状態にしてあげることじゃない かな。であれば、局所的ではあれ「確実にできることをすること」だけが大切だと思う。

Q3:ずいぶん前の話になるのですが、唐木田の大妻女子大学の 120 周年記念の講演で、 「社会学は死んだ」というお話をされていて、その中で『万引き家族』(監督:是枝裕 和、2018 年)の話で血縁から絆というお話を聞いた記憶があります。

最近はやりでもあるウェルビーイング(Well-being)に関心があって、それと良く死ぬ (Well-dying)ということが大事なのかなということで、今回参加させていただきまし た。私自身、死を必然のものとして受け入れたとしても、また長生きをしたくないとして も、これと、これはやってから死にたいというのがあった時、急に余命宣告で1ヶ月後、 1年後と言われるとやはり安寧に日々を送れない自分がいて、いざ予想外の死を意識した 時に死を恐れずにいられるのかが分からないのです。

宮台:もちろん恐れずにいられます。でも普段から考えていないと全くムリです。それは 当然ですよね。じゃあ何を考えるのか。僕の本にもよく書いています。「不幸は不幸か? 幸福は幸福か?」という構えです。

例えば、僕のいう悪い加速主義者は、ピーター・ティール(Peter Andreas Thiel、 1967-)とかのことです。彼らは、クズどもに自分の財産を分けることはできないから再 配分なんか必要ないと言いますが、加えて、貧乏で不幸なら、ドラッグとゲーミフィケー ションで脳内ホルモンを多幸感(euphoria)状態にもっていけばいいと言います。そのた めのテックデザイナーとして自分たちは存在するのだと。

現に彼らは、クズどもが存在するアメリカ合衆国やその他の国には身を置かず、フラン ス領ポリネシアにシーステッドステイツ(Seastead States)つまり洋上人工国家を建設 して移住するという計画が、2018 年から動いていて、かなり進んでいます。映画『エリ ジウム』(Elysium、監督ニール・ブロムカンプ、2013 年)ともよく似ています。

ラグランジュポイント(Lagrangian point)に巨大なスペースコロニーがあり、そこに 素晴らしい自然と素晴らしい人間関係があり、そこに住むのは選ばれたものだけ、という 点は同じです。違うところは、映画では、地上にいる「下々の人たち」は病と犯罪が頻発 する荒れたところに住んでいるけれど、「悪い加速主義者」のヴィジョンだと、ドラッグ とゲーミフィケーションで十分に多幸感を得ているんだからマシだろ?っていう点です。

その意味では、むしろ『マトリックス』(The Matrix、監督:ラリー・ウォシャウスキ ー、アンディ・ウォシャウスキー、1999 年)に似ています。『マトリックス』では、 人々はコクーンの中で「夢」を見ていて、「リアル」はAIが掌握しています。AIをエ リート人間に置き換えれば、悪い加速主義者のヴィジョンになります。

先日 15 歳長女と一緒に、僕としては数十回目の『マトリックス』を見ていたら、サイ ファって人物が出てきて「本体は繭の中でプラグインされて夢を機械によって見させられ ているけど、別にこれでいいじゃん」「どこが悪いんだよ?赤いピルなんて飲まずに、青 いピルを飲んで、『リアル』を知らずに生きればいいじゃん」って言うんですが、長女が 「サイファに賛成だな。別にこれでいいじゃん」って言うんで、「おいおい、今までオレ は、何のためにあらゆるコンテンツを見せてきたんだよ」って腰が抜けました (笑)。

次女と長男がそうならないことを祈っているところですが、機運としてはそういう流れ なので、難しいかもしれません(笑)。彼女らや彼らは、既に十分にゲーミフィケートされ た世界に生きていて、大学生にもなれば、向精神薬・精神安定剤を投与されまくって生き ている連中が沢山いるんですね。結局、幸せというのは脳内環境のコントロールの問題 で、それさえうまくできれば幸せになれると思う向きが、既に大半かもしれません。

その場合、自分や他人が不幸なのは、社会が悪いからではなく、やっているゲームや、 見ているコンテンツや、摂取しているドラッグが合わないからだよ、って発想になりま す。こういう発想を「心理学化した社会」と言います。社会学者である僕にとっては「天 敵」です。でも、こういう世界観が、それくらいまで広範に実装されてしまっています。

こういう社会であれば、「社会という荒野を仲間と生きる」という感覚が自然に出てく る可能性はゼロです。だから、僕らはまず、所的な人間関係の中で、いじるべきところがどこにあるかを、探す必要があります。その意味で、ユーフォリア(多幸感)はウェルビ ーイング(良い生)じゃありません。

元々イギリスでハピネスとウェルビーイングを分ける時、ハピネスがユーフォリアに相 当しています。言葉遣いはどうでもいいけど、ウェルビーイングは、ユーフォリアやハピ ネスよりも上位の概念です。「ハピネスもあった、アンハピネスもあった、それらの記憶 とともに、今のハピネスがある」っていうのが、ウェルビーイングです。

ご質問者に即せば、ユーフォリアやハピネスよりも上位のウェルビーイングを目指そう というのが僕の話。今の社会に洗脳され尽くした長女の「別にこれでいいじゃん」っての はダメすぎ~(笑)。僕は今日のコンテンツ(録画)を後でもらって、長女に見せることに しますね(笑)。

いずれにせよ、死を恐れずにいられるのは、Homie Kei みたくいつ死んでも不思議じゃ ない環境に適応しているか、いろんな不幸があったけど良い人生だったなと思えるか、ど ちらかだけで、それ以外の選択肢はありません。ご質問者には「いろんな不幸があったけ ど良い人生だったな」と思える生き方をしてほしい。

Q4:今の話に関連付けて質問させていただきます。心理学化された社会に満足している 人達にとって、この社会が荒野なんだということを見せることが善なのかどうかというこ です。この社会が楽しいと満足している人をそこから引き離し荒野を生き続けるという苦 悩に引き込むことがいいのかどうかについて見解をお願いします。

宮台:それが映画『マトリックス』の最終的なテーマでしたね。

Q4:映画『岸辺の旅』(監督:黒沢清、2015 年)でも、虚構だと気付いてしまってい く姿が描かれていて、それを見た時にそこで気付きたい人よりも気付きたくない人が多く いるんだろうなと思って、そこが今後自分が記者になった時に悩んでいることです。

宮台:でも、あなたや僕が仲間を増やそうと思ったら、無理矢理にでも気付かせるしかあ りません。だから、僕は無理矢理気付かせてきました。それが『サブカルチャー神話解体 ──少女・マンガ・性の変容と現在』(1992 連載)の「あとがきインタビュー」で、 「知らぬが仏というのはクズの考え方だ」と話した所以です。

知って不幸になったとしても、真実を知らせることが、圧倒的な善です。気付かずに幸 せに生きることを善たとすることは、チェリーピッキンク(見たいところだけを見るこ と)を善だとすることと同じです。そんな善は絶対にあり得ません。真実を知らないでハ ッピーでいるっていうこと自体が、人間存在として堕落しています。

Q5:そもそもの話になるんですが、前提として愛があるためには、死を前提としていな ければならないという風にとらえたんですが…

宮台:間違いない。

Q5:徴兵制や近代のキリスト教というのは、そういうことをメカニズムとして社会に取 り入れているんだろうという感覚があったんですが、そもそもなぜ死だけが、愛を特別に するのでしょうか?

宮台:死というよりも「終わり」です。死は「個体の終わり」だし、世界の破滅は「世界 の終わり」です。「世界の終わり」を意識するから、社会が「ハードボイルド・ワンダー ランド」として浮上するんです(村上春樹の小説『世界の終わりとハードボイルド・ワン ダーランド』)。

それが今度出る映画批評集『崩壊を加速させよ』(2021 年、blue print)の長い「ま えがき」に書いたことです。「世界の終わり」の映像を子供たちに見せる目的は何なの か。「世界は終わり」に興味を持ってほしいからではない。どのみち「世界は終わる」と すれば、なぜ世界はあるのか。どのみち「生き物は死ぬ」とすれば、なぜ生き物は生きて いるのか。「どうせ終わるものが、にも拘わらず、なぜあるのか」を考えろってこと。

終わるはずのものが、なぜあるのか。終わるんだったら、始めからなければいい。138 億年+220 億年=358 億年。たったそれだけの年月で、宇宙はビッグバンから発生して、 ビッグリップで終わる。じゃあ、なぜあるの? どうせ死ぬのに、オレはなぜ生きている の? なぜ、そんな大切なことを考えないで、安心・安全・便利・快適を求めるの?

真鍋さんが仰ったことだけど、どうせ死ぬんだったら「もうままよ! なんでもあり だ!」って生きるヤツもいるでしょう。でもそういうヤツを見ると、僕らは「浅ましい な」「さもしいな」「こんなヤツになりたくねぇな」って思うでしょ? mimesis(感染 的摸倣)なんてあり得ない。それはジェノミック・ベース(遺伝的基盤)によります。

でも本当はジェノミックなんてどうでもいいんだよ。僕たちの実存的な心の働きだけが 問題です。「なぜ、終わるのに存在するのか?」「なぜ、死ぬのに生存するのか?」に、 ただひたすら関心を集中すれば、自ずとミラクル(奇跡)に開かれた感じ方が出てくると いう端的な事実がある、ということだけで、充分じゃないでしょうか。

Q5:死ぬことが不正というよりも、生まれたこと・生きていることが不自然だというこ とですか?

宮台:不自然です。全く仰る通り。

司会:そろそろ 20 時ですので、最後の質問でお願いします。

Q6(女性の方):国民国家の作り方の話で韓国の徴兵制の話をされていましたが、今日 たまたまラジオのニュースで、BTSがすごく活躍しているので徴兵制の年齢が上がった という話があったんですが、韓国もどんな風に変わっていくのかなって感想を持ったとい うのが一つ。それと、死や生の話ということで、ずっと色んな場所で先生がお話しされて ることとか、考えさせられていることが、よりわかりやすく伝わってきた部分と、なぜ生 きているのかとか、生きるんだったらもっとこうあった方がいいみたいものは、みんなそ れぞれあると思うんですけど、今あることをどう感じるかとか、死ぬことをどう考えるか を非常に感じることができたなと感じました。

宮台:だから、死や破滅を意識できること自体が福音(good news)だということです。 それが言いたいことでした。

司会:今日はどうもありがとうございました。

Comments are closed.

Menu Title